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ポジティブライフアドバイザーのジャニーです! 皆様の日常がポジティブに変わるヒントや、雑学、単なるボクの趣味についてなどを更新中!
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ジャニー
年齢:
28
性別:
男性
誕生日:
1988/10/30
職業:
専門学生
趣味:
ストリートダンス、カラオケ、ビリヤードetc
自己紹介:
ポジティブライフアドバイザーのジャニーです^^
意味のある記事も、くだらない記事も、なんとなく書いています!
更新をしていない期間はとてつもなく忙しい時だと思っていただけるとありがたいです!

【関心】ダンス、踊ってみた、ジャグリング、心理学、ストレス・うつ・自殺の予防、メンタルヘルス、福祉、教育、社会問題、、地域活性化、妄想、お喋り、お酒etc
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http://weedon.blog.shinobi.jp/Entry/1334/
この記事の続きです。
続きものなので、できれば順番に読んでいただければと思います。


~コピペはじまり~

友人宅に着いてからも大きな余震が続きました。停電している状況もあり、いよいよ今日は帰るのは無理だなと思ってから…
実際に自宅に戻るまで2週間かかりました。

まず、2日目ぐらいにラジオで津波の被害がとてつもない事を知りました。
その後、自宅近辺も津波の被害を受けた事らしい事を、停電してる中でもなんとか聴けたラジオと、毎日わずかに見る事ができた携帯電話のワンセグで知り、凄まじい勢いで仙台東部有料道路に押し寄せた津波の映像を見て、
私は
家族の死を覚悟しました。

自宅から仙台東部有料道路までは自転車でも5分程度で行けます。
その程度の距離しか離れていないわけですから、私は家も家族も流されているものだと思いました。

それ以後は津波の映像が出る度に目をそむけて見ないようにしていました。
覚悟はしたものの、自宅が流される映像を見るのは辛かったからです。
それでも頭の中はわりと冷静に今後のことを色々考えていたように思います。
今後どこへ住めばいいのか。葬式の段取りなどもしなければ。そもそも遺体はすでに見つかっているのか…。

当初は情報もやや錯綜していた感があり、正確なものをなかなか掴めませんでした。

絶望感と喪失感。

そして、1週間ほど過ぎたあたりだったとは思います。

当初は携帯電話が繋がりにくい事情や、一日に充電できる時間が限られていること(車のシガーソケットからの充電の為)、さらに喪失感から仙台に住んでいる友人への連絡を取りませんでした。
ちなみに、この時期は諸事情で私は携帯電話を所有しておらず、保護していただいていた友人の携帯電話で一緒にワンセグを見たりしていました。

とりあえずその段階では私は行方不明者であったので、友人に連絡をしておかなければと思い、携帯電話を借り友人の遠藤さんに電話をしました。

電話は繋がり、いつもは落ち着いた低音ボイスのはずが、やや上ずった驚き混じりの声が聴こえたのを覚えています。

偶然にもその日は、私の自宅近くの避難所の小学校へ共通の友人である佐藤さんと一緒に、私を探しに行ってくれていた後だったそうです。

そして、その際に聞いた私の家族が生きているという事が何より驚きでした。
嬉しい、という感情より先に、驚愕。
「え??ホントに?!生きてるの?!」と。

そして、佐藤さんともその際に話をしたのですが、やや涙声で幾度も言ってくれた「良かった~…」という言葉が今も私の心を暖かくさせてくれます。

あぁ、もっと早く連絡をしておけば良かったな、悪い事をしたなと、そして私なんかを心配してくれた遠藤さん、佐藤さんとの繋がりはとても大切なものだなと色々思わされました。

その後、避難所の連絡先を聞き、電話で直接家族とも話せて無事を確認しひとまず安堵しました。

離れて暮らしてはいるものの、血の繋がった妹が蒲生に住んでいたのですが、その無事も確認でき、後日電話でも話すことができました。

血縁者が誰もこの世からいなくなった。
本気でそう思っていたので、私にとってはそれで満足すぎるぐらいでした。

孤独。それが私は一番怖いです。
いつでもそれが嫌です。それを回避する為ならどんな手段でも取ってきました。

避難させていただいた友人がいつでも傍にいてくれたのに、それでも回避できない孤独感に、「これからはひとりぼっちになるんだなぁ。。」とその時までは何度も思いました。


実は自宅も流されてはおらず、床上の浸水までで済んでいました。
とは言っても損傷は激しく、り災証明書の被害の程度の欄は「全壊」の判定でしたが。
自宅の被害については後に詳しく綴ろうと思います。


震災から2週間経った日の夕方頃、私は保護していただいていた友人の家族とトラブルを起こしてしまいました。
今もその方には大変申し訳ないことをしたと思っています。

トラブルのきっかけ自体は大きなものではなかったのかもしれません。
しかし、震災で抱えていたストレスがお互いに爆発し、私が出て行くという事で解決させるしかないと思いました。

ただ、それは簡単な事ではありませんでした。
そもそも簡単に自宅に戻れたのならもっと早い段階で戻っていましたし。

当時、まだガソリンが充分にはSSにて供給されておらず、一緒にいた友人に送っていってもらう事は無理でした。
仮にその友人の車が使用可能であってもそれは難しい状況ではありました。
一刻も早く友人宅を離れることを迫られていたので、私は帰る手段を確定させられないまま、ご家族にお侘びとお礼を申し上げ2週間保護していただいた家から出ました。

保護していただいていた友人が一緒に来てくれて、しばらく2人で歩きバス停の待ち合い室にたどり着きました。
そこで携帯電話を借り、はじめは妹に電話をかけたが繋がらず、次に友人の遠藤さんに電話をかけました。

もう深夜と言っていい時間帯の事だったと思います。

遠藤さんは電話に出て下さり、私は事情を簡潔に説明し、さらにとても幼稚な言い方ではあったのですが、「一生のお願い」と言って頼みこみました。

遠藤さんは快諾…とまではいかなかったですが、私の必死な頼みに、結果迎えに来て下さりました。

外は寒く、待ち合い室とは言っても木造の小屋の中にベンチがあるだけの簡素なもので、扉などもなかったように思います。
雨、みぞれ、雪…記憶が曖昧ですが、いずれかが降っておりさらに寒さを感じさせました。

遠藤さんは電話の後2時間程度で来て下さり、私の自宅まで送ってくれました。
自宅が住める状態かどうかは確認できてはいなかったのですが、とりあえずなんとか眠れる部屋はあるだろうと、もし無理でも避難所の小学校までは歩いていけるので大丈夫だろうと思いました。

遠藤さんには今でもあのガソリンの入手が困難な中、仙台から石巻まで迎えに来て下さった事を大変感謝しております。
また幼稚な表現で、送っていただいてる車内でも実際に言ったのですが、このご恩は「一生忘れない」と思います。

こうして、私は約2週間ぶりに自宅に戻りました。


まだまだつづくw

~コピペおわり~


2週間帰られなかったというのがビックリですよね
津波で多くの家が流されているのを見ると、帰る家があったのも良かったねという感じもします
テレビとかでは見ても、津波で家がなくなるとか、なかなか信じられないものですが・・・

そして、ご家族が皆さん無事だったのもホントに良かったと思います
その後、家族の誰かが亡くなった方のドキュメンタリーのようなものを見たりもしましたが、もしかしたら、家族全員が亡くなってしまったということもあったかもしれません
その中で、皆無事だったというのは、心強い情報だったことでしょう

避難所の話は現在ではテレビで扱われなくなったと思うのですが、避難所は全てなくなったのでしょうか・・・?
仮設住宅の建設がまだ十分でないという話もあったので、今はどうなったのかと気になるところです
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